LIFE IS BEAUTIFUL!!! 山田英幸のもの・ものがたり2019/1/8

好きなものだけに囲まれて暮らしたい。

毎日の暮らしを、わがままに、自分好みに美しく整えたい。

そのために必要なのはたっぷりのお金!!

ではありません。

ちょっとしたアイディアや工夫、少しの手間、そして何より一番大切なのはどれだけそのものを愛せるか、ということ。

 

身のまわりのものを愛する、ということは、暮らしを愛する、ということ。

それはつまり、人生を、自分を愛する、ということだと思います。

ちょっとしたことで、暮らしはもっと美しくなる。

人生も、もっと美しくなるのではないでしょうか。

 

 

さまざまなお菓子の空き箱。フランスなどヨーロッパのものは歴史を感じる美しさがあります。

 

2019年、明けましておめでとうございます。

本年もこのブログをよろしくお願いします。

 

平成もあと数か月で終わってしまいますが、平成というこの30年間は、成長期だった昭和が終わり、バブル、そしてバブル崩壊など、、、その間に私たちの暮らしも大きく変わったような気がします。

特に物質的な「もの」に対する考え方は大きく変わりました。

ものがあふれている現在、ものとの付き合い方も人それぞれ。「断捨離」という考え方に代表されるように、幸せの度合いと「もの」とは切り離して考えられるようになりました。

 

「写真なんか撮らなくても、記憶に残るからそれでいい。」

「結婚式や結婚指輪なんかいらない。そのお金でハネムーンを豪華にしたい。」

ちょっと前の広告コピーにもありましたが「ものより思い出」のほうが上位だ、という「もの」を低く見る価値観が出てきたのも平成時代です。

 

しかし、最近僕のまわりで聞くのは、「やっぱり写真はプリントしときたいかも。昔の写真が出てきて、つくづくそう思った。」とか、「婚約指輪を買ってもらわなかったので、銀婚式を迎えるいま、新しく(ちょっといい)指輪を買ってもらった」、などなど・・・。

 

昭和という「物質」的な時代が終わり、そのアンチテーゼとしての「精神的豊かさこそが至上」という考え方がもてはやされた平成も終わろうとしているいま、また「もの」が持つ「意味」や「役割」にみんなが気付き始めているような気がするのです。

それが昭和時代の「もの」の価値とはまったく違うことは言うまでもありませんが。

 

ずいぶん古びた「Roger&Gallet」の石鹸の箱。カーネーションの香りのようです。

 

中には、耳かきや目薬など小さな身の回りの物。亡くなった親友のメモ書きまで入っていて・・・。

 

昔、一人暮らしを始めたころ、森茉莉のエッセイや小説が好きでした。森茉莉自身は父鴎外に溺愛されよく教育もされた、そもそもはものすごいお嬢様なのですが、文学の道に入り、みずから「贅沢貧乏」と名付けた独自の美意識を貫く暮らしをしていたそうです。

外国煙草の空き缶や外国のお菓子の空き箱などは、彼女が若き日を過ごした「巴里」を思い出させ、彼女の貧しいアパートを「巴里のアパルトマン」にしてくれる。そんな描写がそこここにあり、同じく貧乏な学生だった自分も大いに影響を受けました。

 

そんなエッセイだか小説だかに出てきたのが「ロジェ・ガレ」の石鹸。それを自分でも京都四条河原町の「ソニープラザ」で買いました。

そのころは銭湯通いでしたので、石鹸自体は黄色いプラスチックの桶にネイビーブルーの石鹸箱、その中に入れて銭湯で使っていました。

下宿住まいの男子大学生に似つかわしくない「シュミ」ですが、自分でも「贅沢貧乏」を気取っていたのかと思うと、そのころの自分が恥ずかしくもいとおしいです。

 

もちろんその空き箱は大事に取ってあり、というより、空き箱欲しさに石鹸を買ったようなもんです。身の回りのこまごまとしたものを入れるのに使っていました。

 

買ったときはピカピカと輝いていたその箱も、40年以上たったいま、金の輝きは鈍くなり、本当に20世紀初めのパリのアパルトマンにあってもおかしくないような渋さに変わっています。

ここ数年は使っていませんでしたが先日久しぶりにその箱を開けてみました。

耳かきや爪切りなど身の回りの小さなものと一緒に、3年前に亡くなった親友からのメモ書きがなぜか一緒に入っていて、一瞬涙ぐみそうになりました。ある意味、タイムカプセルですね。そのころの暮らしや、彼との思い出が一気によみがえってきました。もちろん中をきれいに掃除して、これからも使っていこうと思っています。

 

「獺祭」のチョコレートが入っていた箱には、夏に買った作家物の箸置き5客がぴったり。

 

いまはもうない「御洲浜司 植村義次」のすはま「春日の豆」の箱には、なぜかバカラのナイフレストを入れてます。

 

そう、「なんでも取っとき隊」隊長のわたくし、もちろん空き箱も取っときます。

特に外国のお菓子の小さな紙箱。伝統的にプレゼントに使われたからか、ロマンチックで繊細な模様や図柄が小さな面積にあしらわれていて、また、エンボスや金の箔押しなども使われていてとても楽しいものです。

あるいは和菓子の箱。干菓子などの紙箱は日本的なシンプルさがかえってモダンで、これもまた飽きません。

 

こういった箱をいちいち捨てずに取っておいて、なにかぴったりのサイズのものが出てきたときに、喜んでそのもの専用の「しまい箱」にするのです。小さな箱から出てくる小さなもの。なんだかおままごとのようです。

 

長命寺桜餅の箱にはなぜかチェブラーシカとゲーナの陶製人形が。

 

仕覆づくりに使う「緒」が入っているのは、駅弁が入っていた竹皮の弁当箱。

 

こういった美しい化粧箱を作るのはなかなか手間がかかるもので、その分割高にもなっていると思うのですが、そうだからこそなかなか簡単には捨てられません。

同時に、そのお菓子、つまりその箱をもらったり買った時のことやくださった人などのことも忘れられないのです。

空き箱を取っておく、捨てずに使う、ということは大げさに言えば、その時の気持ちをずっと取っておく、ということでもあると思います。

 

素晴らしい経験や体験は、何もなくてもずっと記憶に残り思い出になるのは言わずもがななのですが、思い出とは非常にあいまいなものです。

だんだん薄れていったり、変形していったりする。(だからこそいいんだ、という考え方もあるでしょうが)、「もの」があればそのあいまいな記憶の強力な助けになります。

 

「よすが」という言葉があります。

「寄す処(か)」「縁」「因」「便」と書くらしいですが、身や心のよりどころとすること、手がかり、と辞書には書いてあります。

そう、「もの」にはそのものとともにあった思い出の「よすが」となる力があるのです。

 

空き箱のような些細なものにも、そんな力がある。それをくれた人の気持ち。あるいは買ったときの気持ち。それをもらった時の気持ち。

小さな美しい箱を開くとき、ほんのり残ったお菓子の甘い香りとともによみがえってくるのは、そんなすてきな気持ち、なのです。

 

「もの」とともにある暮らし、、、齢を重ね過去が増えるばかりのいまだからこそ、まだまだ「もの」を捨てられない生活が続きそうです。

 

実家で毎年届けてもらっている「たん熊」のおせちの箱。なんと食器棚の中で小さな食器をしまう箱になっています。

 

 

 

山田英幸

幼い時から美しいものが好きで、長年にわたり骨董・アンティーク・古裂・ヴィンテージテキスタイルなどを収集。

また手仕事も得意で、洋服、帽子、人形、テディベアなどを制作するが、1990年頃「究極の手仕事・仕覆」に出会い、現在も制作を続けている。

西麻布「ルベイン」「銀座松屋」などで仕覆展示会開催。

自称「手芸の国の王子様」。

 

とにかく、「もの」が好き。それにちょっとした工夫や手仕事をプラスすることで、身の回りを美しく、毎日を楽しくしたいと思っている。

愛知県名古屋市生まれ。現広告代理店クリエイティブディレクター。

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